ヒト型の超越

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100年以上にわたって人類はロボットの開発に魅せられ、人間とそっくりなヒト型ロボットの実現に取り組んできました。しかし、ヒト型へのこだわりによってもしかするとより根本的な要素を見落としてきたのかもしれません――その最良の例がスマートフォンです。スマートフォンはどうみても人間には見えません。しかし、まるで義足を装着する時のように、スマートフォンの機能は使用者に合わせて補完され、またそれに伴って使用者のできることも増えます。スマートフォンが使用者の行動を変容させるのです。同時にスマートフォンもまた、使用者によって購入後に大幅にカスタマイズされます。その程度はスマートフォンが個人の性格を体現しているといっても差し支えないほどです。スマートフォンを調べれば、持ち主が仕事に厳しいプロフェッショナルであるとか、あるいは必要最低限の機能しか使わない、男らしいミニマリストを目指す男性であるとか、使用者の人となりがわかります。裏を返せば、スマートフォンをみれば個々人が持つより広範な文化的価値観がわかるといえます。

スマートフォンは私たちを映し出す鏡であるだけでなく、足りないものを補って、できることを増やしてくれます。スマートフォンは脳の外付けハードディスクのような存在となり、事実を記憶するだけでなく、情報にアクセスしたり、情報を整理したりする場として機能します。さらには私たちの行動範囲を広げ、人付き合いや仕事、その他さまざまな活動をしやすくするなど、私たちはスマートフォンによって生理的限界を超えた能力を得ることができます。このように各使用者と強いつながりを持つスマートフォンは、かつてないほどに使用者とデバイスとの親和性が高い装置といえます。まるで『ライラの冒険』に出てくるダイモン(守護精霊)のように、スマートフォンは自分の分身のような存在であり、いつも手元になくてはならないように感じたり、身近にないと相応の不安に襲われたりするのです。

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